
フランク・ボルシの「Victor Horta」を開いてみよう。オルタは1861年1月6日靴職人の息子としてゲントに生まれる。幼い頃から両親の意志もあり、音楽や美術の教育を受けた。ゲントのコンセルヴァトワールのソルフェージュ・クラスでピアノを学んだ。そしてエコール・デ・ボザールでテキスタイルデザインとデッサンと建築を学んだ。1年半ほどパリのジュール・デヴュッソンのアトリエで建築の修行もしている。
19歳の時父が亡くなり、ゲントに戻るが、数週間後ブリュッセルのボザールに入るため再びゲントを離れる。ブリュッセルではネオクラシズムの権威アルフォンス・バラに師事し、彼のアトリエで働く事になる。アルフォンス・バラは皇帝レオポルド汾「の顧問建築家であり、ラーケン王宮や王立植物園の温室などの設計をしている。オルタはバラのアトリエで建築の実務を学びながら、1885年ゲントで処女作である「3連棟の家」(178 three houses / Victor Horta)を設計する。場所は12部屋通り43,45,47番地(rue des Douze Chambres,Ghent)だ。そしてその建物にはオルタのサインも入っていると、フランコ・ボルシは書いている。この建物は生まれ故郷ゲントでは好評であった様で、オルタも満足してサイン入れたのだろう。
アルフォンス・バラとの共同作業を経た後、オルタは独立し、最初はオートリック邸等小さな住宅から設計の仕事を始めた。1893年タッセル邸を設計し、彼の新しいデザインはヨーロッパ中に知れ渡る。その後の彼の仕事は前述した通りである。
さて、この処女作をぜひ見なければならない。ゲントの地図で12部屋通り(rue des Douze Chambres )を探すが、インデックスを見ても載っていない。困っている内にインターネットのオンライン書店でフランソワーズ・オーブリーの「オルタ/アール・ヌーヴォーからモダニズムへ」を入手する。早速クロノグラフィーのページを開くと、そこには「3連棟の家」とあり住所が記載されている。43,45,47 Twaalf kameren,Ghentとある。やっと分かった。フランコ・ボルシの住所はフランス語表記で、ゲントの地図はフラマン語で書かれていた。通り名インデックスを調べると12部屋通り(Twaalfkameren)はすぐ分かった。オルタ処女作の場所も特定出来た。
ゲントにはオルタ以外にも見るべきものがある。アシエル・ヴァン・オックドゥセル(Achiel Van Hoecke-Dessel)の住宅が2棟,芸術通り(Kunstlaan)にあるはずである。
2日間のブルージュの観光ですっかり気が弛んでしまっているが、ここはしっかり気を引き締めて、最後の取材に取り掛かろう。ブルージュからI.C.で30分、ゲントの玄関口セントピーターズ駅に着くと、まず荷物をレフトバゲッジに預け、トラムのマップを入手。トラム12番で旧市街の中心地コーレンマルクトに向かう。降りる場所が分からないので、前の座席のトレンチコートの白髪の紳士に「エクスキュゼモア、ムシュー」と話し掛ける。その紳士は振り返ると上品な感じの女性だった。またしても失敗、私は勘違いを詫びて、何番目の停留所で降りたら良いか尋ねると、「気になさらないでよろしいのよ。」と言いながら、笑顔で答えてくれた。すると廻りの乗客も「オー、コーレンマルクトへ行くのか。次の停留所だ。次だ。次だ。」と笑顔で教えてくれるのであった。初めての訪問地で心細い気持ちが和んで、快くトラムを降りた。
レイエ川に架かる聖ミハエル橋から、中世のギルドハウスの達ち並ぶコーレンレイやグラースレイを眺め、旧魚市場や肉市場を見る。そして聖バーフ教会の地下礼拝堂で祭壇画「ミスティック・ラム(神秘の小羊)」を見る。フーベルトとヤンのファン・アイク兄弟の作品だ。極度の細密描写とオイルペインティングの色彩の鮮やかさに驚く。魂の救済をテーマに描かれた雰囲気が、とても良く見る側に伝わって来る絵だ。
旧市街の中心地に一画に、とても素晴らしい美術館がある。ジャン・ブレイデル通り5番地(Jan Breydelstraat)の装飾美術館(Museum voor Sierkunsten Vormgeving)だ。旧館にはルネサンス期の室内装飾の展示があるが、中庭を挟んだ新館にはアール・ヌーヴォーからアール・デコ、そしてバウハウスへと変遷するデザインの変化が家具や食器からグラフィックまで一目で分かる様に展示されており、素晴らしいコレクションだ。レプリカかも知れないがヴァン・ドゥ・ヴェルドゥの有名なデスクなども、室内装飾とのセットで展示されていた。ここのコレクションのカタログが又素晴しかったが、余りの分厚さに、持って帰る事を考えて買うのを断念した。今思うと、とても残念な気がする。
聖バーフ教会前の広場に面したカフェテラスでワーテルゾーイとビールのランチを取る。ビールはドゥ・コニックやデュベルなど試してみるが、やはりヒューガルテン・ブランシュに戻ってしまう。ワーテルゾーイはゲントが本場と聞くが、ブリュッセルやブルージュで試したクリーミーなものとは違って透明なスープでさっぱりした味だった。ゆでアスパラも試してみる。これはゆで卵のみじん切りとセロリのバターソースで食べるが、ほぼどこでも同じ味だった。この白アスパラのフランダース風とヒューガルテン・ブランシュが良く合いつい飲み過ぎてしまう事になる。さて、美味なランチをエキスプレスで締めくくって、いよいよオルタの処女作だ。
ヴェルド通り(Velds traat)とヴァン・ドゥ・ヴェルド通り(Gebroers Van de Velde straat)の交差点でトラムを降り、12部屋通りを目指す。歩き出すと同時に雲行きがおかしくなり、雨が降って来る。商店の店先を借りて雨宿りをしながら目的地へ進む。途中ヴァン・ドゥ・ヴェルド通りが二股に分かれる。細い方の通りが12部屋通りだ。雨も上がり青空が見えて来る。12部屋通りを中ほどまで進むと「3連棟の家」(178 three houses / Victor Horta)は建っていた。「Victor Horta Architecte 1885」の文字も確認できる。残念ながらコーニス(蛇腹)下部のフレスコ画は白い漆喰で覆われていた。何か特徴のあるファサードと言う訳ではないが、連続する窓のアーチなどに、ブリュッセルのアルフォンス・バラの下で、新古典様式を勉強した成果がよく顕われている。
帰りは芸術大通り(Kunstlaan)まで歩く事にする。少し歩いて、横の道を覗くと、何か面白そうな住宅があるリーヴド・ウィン通り(Lievdwinne straat)の2棟だ。グリーンの施釉レンガの住宅(179 Huis / *****)はシノワズリー風でなんとも不思議な雰囲気だ。2階が大きなベイ・ウインドウになっている住宅(180 / ****)は、3階部分のバルコニーがゴシック・バンガロー風で、ブリュッセルのアンカールの自邸を思わせる。
古い運河沿いに、歩いてベール通りまで戻る。さらに聖アマンド通り(St-Amand straat)を南下して芸術大通り(Kunst laan)に出る。再び空が暗くなりポツリポツリと雨が降り出す。写真を撮るには最悪の状態になって来た。芸術大通りに入って行くと、ちらほらとアール・ヌーヴォー風の建物が現れる。16-20番地の住宅(181 Huis / Achiel Van Hoecke-Dessel)が見えて来る。しかし暗い。手持ちの限界までシャッタースピードを落としてもまだ露出計の針はマイナス方向に止まったままだ。かまわずシャッターを切る。さらに歩いて行くと41番地の住宅(182 Huis / Achiel Van Hoecke-Dessel)が見えて来る。
これは凄い。エントランス廻りの開口の形それを取り巻くレリーフも素晴らしい。アティックの窓のキーストーンのレリーフは少女の顔か?その窓の水切り石の下部には1903の数字のレリーフが見える。この建物の設計者アシル・ヴァン・オエクデッセルはなかなかこなれたデザイン力のある人だ。多分ゲントにはこの2棟の住宅以外にも、まだ彼の設計による建物が有るに違いない。ゲントアール・ヌーヴォーはほとんど研究書でも見た事がない。まだまだお楽しみはこれからかも知れない。ぽつりぽつり降っては止む雨の中を濡れるにまかせて、私はセントピータース駅に向かった。![]()
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