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今夜の番組チェック

5.ふくろうの家(Les Hiboux)とオテル・アノン

Les Hiboux and Hotel Hannon

Les Hiboux

 今日は幸い天気も良くて、まだまだ取材できそうだ。途中、色々見ながら、ふくろうの家とオテル・アノンまで行ってみよう。
ヴァン・ミーネン広場からワーテルロー通り(chaussee de Waterloo)まで来ると、通りのむこうに6軒のアール・ヌーヴォー建築
(035)(036)(037)(038)(039)(040)が建っている。このうち250番地(037)、252番地(038)、254番地(039)、256番地(040)の4棟はJ.P.ヴァン・オースティーヴンの設計によるものだ。246番地(035)と248番地(036)の2棟はデータがない。6棟とも手入れをされている様子は無く、かなり傷んでいるが、ベイウィンドウの形やステンドグラスなどを丹念に見て行くと、なかなかのものだ。特に256番地(40)の最上階の窓は、円がずれた形が面白い。この近くにメトロのオルタ駅があり、60年代に惜しくも解体されてしまったオルタの人民会館の1部が保存されているはずだ。
 さて、ワーテルロー通りを渡ってタミネ通り(rue des Tamines)を入ると、左にルイ・モリシャ−ル広場(place Louis Morichar)が見えて来る。この広場の41番地に
ブレロの住宅(041)がある。ヴァンデルシュリック通りの様な群としての建築ではなく1軒だけのアール・ヌーヴォー建築だ。それだけに力が入っている。デザイン濃度が濃い。外壁はイエローストーンとブルーストーンのゼブラだ。地下の採光窓の面格子からエントランスドア、ファンライト、1階パーラーのピクチャー・ウインドウとその窓桟、ステンドグラス等どれを見ても力が入ったデザインだ。
 そして植物の茎の様な物が地上から序々に伸び上がり、2階バルコニーの下端では生い茂る木々や枝や葉となりベイ・ウインドウを支えている。バルコニーの手摺金物がベイ・ウインドウに絡み付く。なんと2階の開口部上部には朝日に向かって時の声をあげる雄鳥のフレスコ画が描かれているではないか。まさにこれはジャポニスムだ。などと感心しながら、夢中になってシャッターを切っていると、隣の家の3階の窓から不思議そうな顔をして小さな女の子がじっとこちらをみている。私は「ボンジュール!」と声をかけて手を振った。小学校の低学年と思しきその女の子も微笑みながら手を振っている。私は何かほっとするものを感じながら次のターゲットに向かった。
 次はこの広場の反対側にある
住宅(042)だ。17年前,始めてブリュッセルを訪れた第2日目の朝、最初にホテルからタクシーで着いたのがこの広場だった。もちろん目的はブレロの住宅だったが、なぜかタクシーはブレロの住宅とは反対側に止まった。ブレロを探して歩いて行くとこの住宅があった。資料で確認していたブレロの住宅とは違う。手元資料には無い建物だった。でもかなり密度の高いデザインのア−ル・ヌ−ヴォー建築だ。今回の旅の途中、ブルージュの本屋で入手した資料によると、設計はジョルジュ・デルコーニュとの事だ。
 外壁の白い石は17年前に比べてずいぶん綺麗になっている。3階腰壁部分のフレスコ画も色鮮やかに修復されている。階段室と2階バルコニーの突き出し方、それを支える動物の骨の様なステー、エントランス廻りの洞窟の様に深く彫り込まれた開口部等,なかなかの物だし、建物の各パーツのサイズやレイアウトがじつにバランス良く納まっている。この建築家、なかなかできる建築家だ。
 近年のアール・ヌーヴォー再評価の流れの中で、ブリュッセルのアール・ヌーヴォー建築も大分修復工事が行われている様だ。17年前、始めての心細さも手伝い、幾分か怖る怖る見て回ったアール・ヌーヴォー巡礼の旅を懐かしく思い出しながら次へ向かう。ロマニー通り(rue de Roumanie)のポール・ヴィザヴォ
ナの店舗兼住宅(043)やアントワーヌ・ブレ通り(rue Antoine Breart)のポール・アンカールの住宅(044)、イリアンド通り(rue d`Iriande)のアスパラガスの頭の様なアーマド・ヴァン・ウェルスベルジュの住宅(045),ポルトガル通り(rue de Portugal)のJ.P.ヴァン・オースティーヴンの住宅(046)を見ながら「ふくろうの家」まで行こう。
 ポール・アンカールの住宅(044)はこじんまりした2階建ての住宅だが、なかなか良く出来たデザインだ。1階パーラーの腰壁のイエローストーンのレリーフは、よくアール・ヌーヴォー研究書に採り上げられているので、見たことがあるかも知れない。バルコニーの手摺のデザインなど日本の組子を思わせる。2階開口部上部のフレスコ画は朝日と雄鳥、木々の間を飛び回る小鳥、そして月とコウモリだ。これは朝、昼、夜の隠喩か。オルタもアンカールも日本美術の愛好家であり、あのサミエル・ビングの「芸術の日本」の熱心な定期購読者であった。日本美術がアール・ヌーヴォーの源泉の1つであることが良く分かる。
ブルグマン大通り(avenue Brugmann)を少し南下すると、右側にダークブラウンの建物が見えて来る。エドワ−ル・プルズネール設計の「ふくろうの家(Les Hiboux)」(047)だ。ふくろうの目の様な大きな円い窓、そしてふくろうの耳の様な2本の尖塔が立っている。その尖塔の上にはふくろうが1羽ずつ乗って、ブルグマン大通りを見下ろしている。このふくろうは何を意味するのだろうか。ギリシア神話ではふくろうは女神アテナの紋章である。アテナは戦いの女神であると同時に知性の女神でもあり、建築家や彫刻家の守護神でもある。この家のオーナーは彫刻家,それとも建築家?
 エントランス上部のタンパン部にもふくろうのフレスコ画がある。良く見るとなかなか可愛い顔をしたふくろうだ。ホワイト・リリーがふくろうと一緒に描かれている。これはなにを意味する寓意か。ファサ−ド全体が、かなりアールデコに近い印象を与えるのは、正円と直線の組み合わせによるデザイン構成だからだろうか。隣の52番地の住宅も同じ設計者による物だ。
 さて「ふくろうの家」の左隣に、凄い豪邸が建っている。
オテル・アノン(048)だ。ホワイト・ストーンと白施釉レンガのファサードはオルタの影響が感じられるデザインだ。ブルグマン大通りからラ・ジャンクシオン通り(rue de La Jonction)に入るとウインターガーデン(サンルーム)の大ステンドグラス窓が見える。その横にエントランスドアがある。インターホンのボタンを押すとドアが開錠された。この建物は電話予約により見学が可能だ。エントランスよりホ−ルに入る。薄暗いホールの壁一面に大フレスコ画がぼんやりと浮かび上がって来る。目が慣れるにしたがい、それは序々にはっきりした映像として目の前に現れる。画家ポール・アルベール・ボードウィンの作品だ。水辺で女神の奏でるたて琴に聞き入る若いカップルが、壁面いっぱいに、叙情的に描かれている。この邸宅のオーナーであったエドアール・アノンは当時、新興化学産業のビッグカンパニーであったソルベイ社(あのオルタのソルベイ邸のオーナーの会社)の技術者であり、写真家でもあった。彼は家を建てるに当たって建築家ジュールス・ブランフォ、家具デザイナーとしてナンシーのエミール・ギャレ、フレスコ画はボードウィン、ステンドグラスはエヴァルドゥルなど当時最高のアーティスト達を集めた。裏庭に面したファサード等、特にオルタの影響が強くみられるが、これはアノンの強い希望だった、とのことである。しかしこの建物も、彼の死後、一時空き家となり不動産業者の手で解体される事になったが、アール・ヌーヴォー再評価の高まる中で、サンジル区により1988年までに修復工事が行われ、現在竣工当時の姿に戻っている。ブリュッセルのアール・ヌーヴォー建築のほとんどは個人住宅である。外観は見ることができても、内部を見ることはなかなかできない。この建物の様に内部を公開してくれるのは珍しく、大変貴重だ。
さて、時間は大分遅くなってしまったが、まだまだ外は明るい。近くの2、3の住宅を見ながら、オルタのタッセル邸まで行ってみよう。