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10. ストロヴァン巡礼2(アンビオリ広場)

The Strauven pligrims 2 (The Square Ambiorix)

 トラムでパルクまで引き返し、今度はメトロ1A(エルマン・デ・ブルー行き)又は1B(ストッケル行き)に乗り、シューマン(Schuman)で降りる。聖クエンティン通り(rue Saint-Quentin)のストロヴァンの住宅を目指す。30番地(096 Habitation / Gustave Strauven)32番地(097 Habitation / Gustave Strauven)の2軒が彼の作品だ。2軒ともストロヴァンの作品としては大人しいが、バルコニーのブラケット状の支えや金物などに、ストロヴァンの燃え上がるフランボワイヤン・デザインを見る事ができる。
 アベニュー・パルマストンに出てARAUツアーで見たオルタをもう一度見た後、グーテンベルク広場(sq. Gutenberg)のアルマン・ヴァン・ウエルシュベルジュの住宅0(98 Habitation / Armand.Van Waesberghe) (099 Habitation / Armand Van Waesberghe) (100 Habitation / Armand Van Waesberghe)を見る。さらにフィリップ・ル・ボン通りでヴィクトール・ティールマンの住宅(101 Habitation / Victor Taelmans)、アルマン・ヴァン・ウエルシュベルジュの住宅(102 Habitation / Armand Van Waesberghe)を見た後、クロヴィス大通り(boulevard Clovis)に向かう。ストロヴァンのヴァン・ダイク邸(103 maison Van Dyck / Gustave Strauven)だ。ブルーの表紙の「Bruxelles 1900」にあった、老人の写真のあの建物だ。17年前は廃屋の様に打ち捨てられている様子だったが、今は外壁もクリーニングされ、建て具も修復されて綺麗になっている。でもあの魔界城の雰囲気は相変わらずだ。バルコニーを下から仰ぎ見ると、船の舳先の様にも見える。屋根の先端部分の祠の様な装飾は一体何なんだろう。腰のブルーストーンのストロヴァンのサインを確認したら、「猫」(104 Maison "Les Chats" / gustave Strauven)を目指そう。
 それはルーター通り(rue Luther)を入ってすぐ左手にあった。ブルーとイエローの施釉レンガの強烈なコントラストの外壁だ。近ずいて見ると、地下と1階部分がエントランス部分で吹き抜けになっている。そして吹き抜けを覗いてみると、左右の壁は深いブルーで塗られていた。エントランス・ポーチの手摺や扉はなめし革の染色の様な深いレッドだ。この色の組み合わせは一体何だ。この建物は内も外も尋常では無い。エントランス廻りのフェンスと門扉は鋳鉄製だ。これは既製品だろう。少し引いた場所からファサードを眺めてみる。いる、いる4匹の猫が。この建物は革加工職人のアトリエ兼住宅だったとの事であるが、彼は猫が好きだったのだろうか。
 近くにストロヴァンの住宅がもう2軒ある。ルーター通りを少し進んでアブディカシオン通り(rue de L`Abdication)を右に入るとそのうちの1つ(105 habitation / Gustave Strauven)がある。赤と白の施釉レンガの、これも強烈なコントラストのファサードだ。ストロヴァンは高価な石造ではなく、安価な施釉レンガや既製品の鋳鉄製のフェンスや金物を使ってオルタのクライアントよりはローアークラスの人達のニーズに答えるファサードを造り出している。それも彼の強烈な個性を打ち出しながら。
 アブディカシオン通りをさらに進むと、右手にオルタのブレーク邸(106 maison Braecke / Victor Horta)が建っている。外観は白いシンプルなデザインである。オルタ1901年の作品だ。研究書などで見てみると内部はまだオルタ・カーブの装飾を施した建て具やステンドグラス等を使っているが、外観は新しい世紀を迎えて、オルタの新しい試みが始まっていることを示しているデザインである。
 さらに進んでヴァン・シャンプノート通り(rue Van Campenhaut)に入って南下すると、51番地(107 habitation / Gustave Strauven)にもう1軒ストロヴァンの住宅がある。白と赤の強いコントラストのファサードはアブディカシオン通りの住宅と同じだ。バルコニー片持ち梁のデザインもストロヴァンらしい。シャルル5世通り(rue Charles Quints)にポール・アメスの住宅(108 Atelier de Potvin / Pau Hamesse)がある。
 ヴァン・シャンプノート通りをそのまま進むと、アンビオリ広場に出る。この広場の名前はカエサル著「ガリア戦記」にも出てくるケルトのなかでも勇猛果敢な事で知られるベルガエ人エプロネース族の指導者アンビオリクスからとったものと思われる。ベルギーと云う国名もこのベルガエに由来している。さて、いよいよストロヴァンの最高傑作サンシール邸(109 Maison de Saint-Syr / Gustave Strauven)だ。皮肉にも、硬直したデザインのネオXX様式の比較的大きな邸宅に両側を挟まれ、なんと4Mにもみたない狭い間口にその建物は建っている。ガウディを先取りした様な1階ポーチに上る階段。「建築は柔らかくて、毛が生えていて、食べられなければならない。」と言ったのは確かサルバドール・ダリだったと思うが、正に、これはその様な印象を与える。そしてバロックの語源「バローコ(歪んだ真珠)」やロココの語源「ロカイユ(奇岩)」を連想させる。その基壇の上に、この建物はまるで異端宗教の祭壇上に置かれた秘儀のための聖具の様に建っている。
 深い森の絡み合う茨や蔦をイメージさせる、ペールグリーンに塗られた木製サッシのフレームワーク、魚の口が突き出している様に見えるバルコニー床の形状、そして4階部分は正円に刳り貫かれたバルコニーだ。そのサークルはパラペット飾りへと伸び曼珠沙華の花びらや花弁の様に空に向かって炎となって燃え上がる。
 フランボワイヤンとは、後期フランス・ゴシックの一傾向に揶揄的意味を込めてつけられた名前である、と推測される。それは何を揶揄しているかと言えば、つまり建築の構造とは無関係に視覚効果のみを狙った過剰な装飾の傾向を揶揄しての事だろう。しかしこのロジックには、建築に於てその構造が本質的なものであり、装飾はその表層に被せられる衣装に過ぎないとの前提的理解がある。建築は何のために作るのか。その目的こそが本質ではないのか。構造はその目的を成り立たせるための一手段に過ぎない。
 我が日本の縄文文化を見よ。そしてヨーロッパ以前のヨーロッパを席巻していたケルト文化を見よ。そこに何が見えるか。「装飾」は「人」が作った「物」に生命を与え、畏れ多い「自然」へと送り返すための「呪文」であり、「祈りの言葉」として見えてこないか。我が近代は「装飾」の持つその様な神秘性を人間の弱点として忌避し、捨象した。我が近代は私達が造り出す「物」に生命を与える術を自ら捨て去ってしまったのだ....と言えないだろうか。
 私はストロヴァンの建築の前に立つ時、私が、いや我が近代が抱えている「困難」を目の前に突き付けられ、答えを持たないまま、ただ立ち尽くす外、なす術がないのである。私にはまだ、その答えが見い出せない。それはついこの間、あのバブル時代に現れた「ポストモダン建築」ではない。あれこそ、あのポストモダンが用いた装飾こそ表層の衣装だ。彼等は単に彼等が選択する事のできる一意匠としてしか装飾を考えていない。「ポストモダン建築」と言う一傾向を仮に認めたとしても、それは作品の質から考えても、かなり矮小化されエクレクティスム(折衷主義)と考えるのが相当であろう。
現代のバロック建築家ハンス・シャロンの次の言葉に希望を繋いで、この建築を後にしよう。「人類に課せられた義務は、与えられた枠組みとして非合理性と合理性の弁証法に基ずく進化論に従って、序々に実現される。」
 あたりもだんだん薄暗くなって来た。急ぎ足でシューマン駅を目指す。途中、コレージュ通り(rue Le Correge)で異様な建物(110 habitation / Edouard Ramaekers)にでくわす。これは何だ。今ストロヴァンの作品の前でケルトの妄想に耽っていた私には、この住宅がケルトのシンボルとして突然立ち現れた様に思えた。。エントランスドアのフレームワーク、パーラーの大窓やベイ・ウインドウのガラスの模様は何んなんだ。それらはベイ・ウインドウの下端の軒天の部分にまではみ出して、そこを埋め尽くしている。明らかにこれは森の木々や果実をシンボライズしている模様だ。ケルト連合軍の総指揮者ベルチンジェトリックスはカエサルに捕らえられ、ローマの獄中で処刑されてしまったが、ケルトの魂は遠い記憶としてDNAに書き込まれ、このケルト最北の地でも、時代の谷間で吹き出すのだ。1899年、エドワ−ル・ラミケールの作品だ。この住宅はストロヴァン巡礼の最後に出会うに相応しい作品ではないだろうか。
 大天使ミハエル通り(avenue Michel-Ange)にヴィクト−ル・ティールマンの自邸(111 Maison Taelemans / Victor taelemans)があるので、それを見てからメトロに乗ろう。